時代の流れと関係なく存在するのは難しい

ネットショップを始めた者が言うのも噴飯物だが、今まで通りにプロポリスを販売したり、今まで通りの品揃えをしたりしようとしても段々難しくなってきた。プロポリスを含め、健康食品は自然の中で作られるわけだから、その原料への需要が高まると価格が高騰したり、入手困難になったりする。特に、このインターネット時代はモノと情報の流れが加速的に早くなった。だから、あるモノがいいとなると、そのモノが枯渇する危機に陥るまで注文が殺到し、根絶やしになる。まるで、温暖化になって大量発生するバッタの軍団みたいにその野原の葉を食べ尽くす。中国人が西洋人のような生活をしたら世界は終わるだなんてジョークを昔聞いたが、それが現実のものとなってきている。このペースで行けば、プロポリスだって手の届かないものになるだろう。但し、プロポリスは人為的に精算できる経済食糧でもあるので、枯渇することはないだろう。とはいえ、今までのプロポリスは同じ価格で入手できなくなる可能性の方が高い。

他を見回してみても似たり寄ったりだ。マグロだって、うなぎだってあと何年食べられるか。もう40年以上も前の中学校の教科書にも、「資源は限りあるものだからいつかは枯渇する」から、消費型の生活を変えていかなければならないと書いてあったのに、結局問題解決は後回しでここまで来てしまった。誰かがが何とかしないといけないと気がついても、自分さえよければいいという連中がその考えを押し倒して来てしまっただけの話。だから、逼迫度は関係なく、いつの時代でも力づくで押し倒す連中が世界を支配している。そして、その消費量は増え、速度は速まっている。

昔、日本は鎖国をしていた。他の文化や文明に左右されずに独自の社会を築くために。それが永遠に続くものであるならば、世界に類を見ない楽園とも言えたのだろうが、後にこの鎖国による異文化圏とのギャップが各国との摩擦を引き起こした。周りが放っておかなかった。そう、一人だけ時代の流れと隔絶して生きていくことはとても難しい。

人が生まれて、一つの仕事を見つけ、それを全うする。本来それが当たり前のことだった。だけれども、実はそこに市場の競争の原理が働いて、給料がもらえなくなったり、仕事がなくなったりして、一つの仕事を全うすることができなくなってきた。文明や文化が進むことによって人類は幸せに近づいたはずではなかったのか。科学の進歩はばら色の未来を創るはずではなかったのか?ところが、インターネット時代になると、どこに何があるのかがつぶさにわかってしまうため、距離をものともせずに、いとも簡単に大きなものが小さいものを飲み込んでしまう社会になってしまったのだ。極端なことを言えば、最もいいものを作っている鉛筆会社だけが生き残り、残りの鉛筆会社は全て消えるという話だ。

そんなことをいったって頑張れ、勝つしかないでしょ、そして負けたら飲み込まれるしかないでしょみたいなことを言う人もいると思うが、そうした脳みそキンニクマン型の思考は、生物多様性の危機ならぬ、人間多様性の危機を全く理解していない20世紀的思考だと思う。自分のペースで自分のしたい仕事ができるというのはもはや夢の話なのか?その余裕の中から創造的だったり、人を喜ばせるアイデアが生まれるというのはもはや過去の話なのか?どこかでもっと違う道を見つけないと、世界はただ破綻に向けて加速し続けるブレーキの利かない車で終わってしまう。

Follow me!