能登半島地震で被災された方にお見舞い申し上げます

このたびは能登地震で被災された方にお見舞い申し上げます。
もう既に地震が発生してから2週間が過ぎてしまいましたが、このことに触れずして仕事をするわけにはいかず、ここに書かせていただきました。

1月1日の午後4時頃、私は例のごとく、家族団らん、こたつに入ってのんびりと正月を満喫していました。とその時、スマホの警報が突然けたたましく鳴り、テレビで地震の通知が出たかと思ったら、グラグラっと揺れが。富山は地震があってもせいぜい震度3がマックスなので、このとき最初はなめていました。ところが、揺れはどんどん大きくなり、私の住むマンションも音を立てて大きく横揺れ始めるではないですか。それはどこまで続くのだろうかと思えるほど、長くそして次第に大きくなりました。私は見ていたテレビがあまりにも大きく揺れるので、慌ててテレビを抑えながら家族に大丈夫かと声をかけました。すると、キッチンからガッシャーンと食器が割れる音が聞こえ、さらに何かが落ちるものすごい音がしました。これは本当に命の危険がと思った頃にようやく揺れはピークを過ぎて次第に収まって行きました。おそらく1分も揺れていたのではないでしょうか。そんなに長くなくてもそれだけ長く感じられた時間でした。さきほどものすごい音を立てたのは食器棚の上から落ちたホットプレートでした。もし、これが体に当たっていたら大けがをしたかもしれません。この後、落ちた食器をかたずけ、ようやく落ち着いたかた思ったらまた大きな揺れが。今度は目の前にあった冷蔵庫を揺れている間ずっと抑えていました。
富山市は震度5強でした。でも震源地の能登のあたりはなんと震度7と表示されていました。これはどれだけの大地震なのかと。ただ、テレビでは被害がどの程度かまだ全然わからず、とにかく津波が来るかもしれないので「逃げて!」という表示が出ていました。私の住むところは海や川が近くはなかったので、津波に逢うことはなかったのですが、何度も続く余震に家族は皆心が落ち着くことなく、一夜を過ごしました。

翌日からは皆さんがテレビで観た通りです。次第に広がる被害の甚大さに驚きました。まさか北陸にこんなに大きな地震が来たなんて想像だにしなかったことです。毎日増える死者数と、未だに発見されない行方不明者。インフラがまだ復旧していない壊れかけた自宅で復旧作業をしている人や、避難所でまともに眠れない人。それに今日は大雪。亡くなった方は本当に無念だと思いますが、いつ普通の生活に戻れるか全くメドが立たない多くの人々の打ちひしがれた状況も筆舌に尽くしがたいものでしょう。

一日も早く、国や県、全ての人が被災者の方を一日も早く普通の生活に戻れるよう協力して欲しいと思います。明日は我が身。日本に住んでいる以上、地震は避けて通れないものですから。

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